『艦これ』は明らかに歴史修正主義なのか? ~ミリタリーの萌え化を考える~

とあるニュースサイトに『艦これ』アニメは明らかに歴史修正主義だ!という記事が掲載されました。

この記事そのものは根拠の乏しい推論の域を出ないですし、とても正しいものとは言えません。しかし「艦これ」は、オタク文化に慣れ親しんでいない人からすれば、このような批判をしたくなるコンテンツであるとは思います。

それにしても、最近はミリタリーの「萌え化」「美少女化」がしばしば見受けられますよね。ガールズ&パンツァーストライクウィッチーズ艦隊これくしょんといったアニメは一定の人気を持っていますし、実際に自衛隊が萌えに関心を示していることも指摘できるでしょう。

すると問題になるのは、「萌え化」「美少女化」は果たして"美化"の一種なのだろうか、ということです。直感的にはそりゃそうだろうと思うのだけど、もしそうすると艦これを始めとした色んなコンテンツが戦争美化になるわけですね。実際、そう受け止められた結果として先述の記事が出てるわけです。
学術的な論じ方から行けば、「萌え」というのは美学でいうところの「美的カテゴリー」のひとつです。つまり、「美」とか「可憐」だとか「わび」「さび」みたいな形容詞的概念の一種として「萌え」を捉えることが出来るわけです(細かいことはコチラを参照ください。)
すると「萌え化」は言わば「美化カテゴリー」のひとつだから、ミリタリー萌え擬人化は戦争美化というレッテルを貼られても文句は言えないかと思います。

しかし、実際にそれらの萌え化コンテンツやそのファンを見てると、そうとは言い切れないですよね。例えばストライクウィッチーズって第二次世界大戦にて活躍した航空エースを萌え化してるわけでミリタリー色の強い作品なんですけど、「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」という名コピーにあらわれている通りに徹底的に萌え化して徹底的に無邪気に描いているのです。もはや美化とかいう次元を通り越してお花畑みたいになってるわけですが、そこまで行けば一周回って平和主義に見えなくもないわけです(というか僕はそういう風に楽しんでます)。

さらに興味深い事例はスタジオジブリの宮﨑駿です。宮﨑駿は相当の左派であり、最近は辺野古基金なる団体の代表にもなりました。その一方で実はミリタリーオタクでもあり、「風立ちぬ」は彼のミリタリーオタクっぷりが結実したものです。両極端ですね。すると反戦思想や平和主義は、ミリタリーに対する忌避感には必ずしも関係しないということになります。


ぶっちゃけた話、戦いだとか武器だとかってカッコいいものなんですよね。古今東西そうです。今流行の刀剣乱舞に引き寄せて言えば、日本刀って武器であると同時に美術品としての側面もあるわけですし。それでもやっぱり武器だとか戦は忌避すべき血生臭いものでもあります。

この「カッコよさ」と「血生臭さ」の二重性にどう向き合うかは、とりわけ憲法で「戦力を放棄する」と宣言した日本人にとって、どうしても考えねばならないことでしょう。つまり知的なバランスと誠実さが求められるということです。
冒頭の記事につなげて具体的に言えば、PV数を稼ぐために露骨なバッシングをかますことはもちろん、それに対して「現実とフィクションは違うんですけどwww」みたいな開き直りをすることも、極めて問題のある態度だなと思いますよ。
そして、大日本帝国海軍という暗黒ドロドロのモチーフを扱うゲームを開発したからには、開発社であるDMMや角川にはこの二重性に向き合う責任があるはずです。なのに、『艦これ』は歴史修正主義ではない!と説明するのをファン任せにしていないでしょうか?そうであれば、これは大変危険だと思います。




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