反安倍デモがヒップホップなビートでキメる音楽文化論的な理由(前編)

ここ数ヶ月世論を賑わせていたものに、SEALDsを筆頭にした若者団体による反政府デモがあります。
そのデモが多くの人にインパクトを与える理由の一つに、そのデモがヒップホップに乗せて叫ばれることにあります。下の動画を見ると分かるでしょうが、出くわした人からすると「えっ、なんじゃありゃ」ってなるわけです。(そんな原稿を書いていたところに、スチャダラパーがデモに参加してライブしてったみたい。)

普通のデモだったら「我々は~!安倍政権の横暴を~!許さないぞ~!」「\許さないぞー!/」という具合でしたし、それに比べて今のデモは「えらく楽しそうですね^^;」「マジメにやれよ政治なめてんのか…」といった具合で、享楽的であることが批判される向きがあります。

…しかし結果的に彼らの行動は政治に影響を与えましたから(どう批判しようと、公聴会にて意見陳述するに至ったのはデカいです)、 このヒップホップ戦法がどうして効果的なのかを理解しておく必要があるでしょう。それは「音楽と社会のつながりはどこにあるのか」「どんな音楽ならば社会を変えるために威力を発揮するのか」という問題のヒントになるはずだからです。

さて、ヒップホップの音楽的特徴といえば何でしょうか。あえて暴論を吐きますが、クッソ単純ですよね。メロディもなく、コード進行みたいな概念も薄く、音楽理論的には特に何も説明できない。
じゃあ「BGMに乗っかって喋ってるだけ」なのと「ヒップホップ」は何が違うんでしょうか。何がヒップホップを音楽たらしめてるんでしょうか。

まずヒップホップといったら押韻ですよね。まるでダジャレみたいだって言う人いますけど、やはり韻があるのとないのと違いますよねぇ。韻があることで、リズムやビートを際立たせ、ヒップホップに音楽的構成を生み出し、そして次へ次へと引き込むノリが生まれるわけです。
そして韻とも関係していますが繰り返しが大事ですよね。普通の音楽もフレーズがある程度繰り返されることで曲らしくなりますし、現代音楽では超単純な繰り返しだけで音楽を成立させるジャンルがあります(ミニマル・ミュージック)。ヒップホップは伴奏がホンの短いフレーズを繰り返すことで出来上がってますし、サビ(ヒップホップ用語ではフック)を歌詞も変えずに繰り返したりします。
また、感情や心情をぶつけることが大きいと思います。ヒップホップは単純がゆえに、感情表現が音楽表現に直結しちゃうのです。例えばブルーハーツの曲で「皆殺しのメロディ」って曲がありますけど、どんなメロディなのかサッパリイメージ出来ないですが(笑)ヒップホップだと殺気むき出しなラップを具体的にイメージできるんじゃないかと思います。例えば初期のrage against the machineのラップあたりは殺気むき出しで、英語分かんなくても「こいつ何かキレてんな」ってのは分かります。そしてそのキレ方がラップに抑揚やダイナミクスをもたらすのではないでしょうか。

というわけでとりあえずヒップホップの性質としては「韻・繰り返し・感情表現が、人々を熱狂させている」という図式が見えてくるわけです。で、これはデモ行進にも応用可能ですよね。実際に彼らのデモ行進を見たことあるんですけど、やっぱり感情がビートに乗るとだいぶ印象が変わります。だんだん放っとけなくなるといいますか。


さて、 ここまでは簡単にヒップホップの音楽的(?)特徴を考えてみましたが、もう少し色々考えてみたいことがあります。なにせヒップホップには独特な文化的背景があるので、これを抜きに語るとフェイク野郎のワックブロガー扱いされるでしょう。そしてヒップホップのビートが未だに日本に馴染んでないんじゃないか説についても考えてみたいことがあります。ではでは。

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