反安倍デモがヒップホップなビートでキメる音楽文化論的な理由(後編)

えらく間が空いてしまいましたが、SEALDsを筆頭にした若者団体によるヒップホップのノリのデモが効果を発揮した理由について考えてみる記事の続きです。
 
先回の記事で、ヒップホップの楽曲としての性質が「韻・繰り返し・感情表現が、人々を熱狂させている」ことに特徴があって、デモ行進にも応用可能だという話をしました。
ちなみに先回の記事書いたあとに知ったのですが、政治デモの演説を音楽的に分析することが可能だそうです。久保田翠さんの論文によると、「M.L.キングJr.とマルコムXが(中略)一定のテンポとピッチで矢継ぎ早に発し続けるアタックの強い音節が、時にシャッフル・ビートに漸近しながら、スウィングに似た刺激をもたらしている」とのことです。うーん、すごくヒップホップの臭いがします、時系列的にはヒップホップのほうが後ですけどね。なお、SEALDsの人たちもキング牧師やマルコムXの演説を参考にしている最中にヒップホップとの親和性に気づいたそうです。

さて、ヒップホップの楽曲以外の特徴、すなわち文化的背景について考えてみます。というのも、「ヒップホップ」とは音楽用語ではなくてアメリカ文化様式を広く指す言葉だからです。ヒップホップなファッション、ヒップホップなアート、ヒップホップなダンス…などなど、色んな様態がありますからね。
そのヒップホップとはどんな文化かと言われても勿論一言では言えないのですが、確実に言えるのは、ヒップホップはサブカルチャーだということです。ここでいうサブカルチャーとは「サブカル」とは違い、露悪的にいえば「社会的に下層な人たちの文化」を指します。ヒップホップ文化は70年代のニューヨーク州ブロンクス地区で生まれたと言われていますが、当時のブロンクスはその治安の悪さと荒廃っぷりはまさに惨状でした(映像参照のこと)。
そういう文化背景があるので、ヒップホップは威圧的な態度を全面に出すことが是とされます。なにせ元々は文字通りの弱肉強食な文化でしたし、ヒップホップのライブには勝ち負けがあったりします。そして彼らのような貧民街出身者からすれば、官僚主義的社会を攻撃するのも当然でしょう。他の音楽も反抗的なものは多いですが、ヒップホップほどに威圧的だったり攻撃的なメッセージを発信するものは少ないと思ってます。ロック系で言えば…ブラックメタルくらいまで行かないと比肩できないかも。多分パンクロックではヒップホップには勝てないと思う。
 
日本の文化のなかでのヒップホップの立ち位置も考えてみましょう。
日本のラップはいつも親に感謝してる…みたいな揶揄を見ますが、実際にはそういう曲は大体レゲエ系のミュージシャンで、レゲエ系にしたって感謝してる系の曲は少数派です。ここで僕が言いたいのは、ラップはある程度一般化しているものの、ヒップホップ文化は未だ日本にあまり馴染んでいないのではないかということです。
ロックとの対比で行くと、ロックはもう歴史が長すぎて特別な存在でも反抗的ではなくなってきています。ましてや若者の音楽ではありません。矢沢永吉しかり長渕しかり桑田佳祐しかり、往年のDQNなロックスターはもう還暦前後なわけですから、当然彼らのファンもそれぐらいの層です。日本でヒップホップが一般化したのは平成からで、ファンの平均年齢は言うまでもなく若いのです。
更にいうと、ヒップホップの"聴き方"もそれほど浸透していないはずです。デモ行進で3連符のリズム「安倍はやめろ」と叫んでいるシーンが有るのですが、実はデモ参加者のなかでこのリズムについていけない人が沢山いるんです。演歌のライブを見ると分かるのですが、50代以上の人たちはすごく単純な手拍子しかできない人が多いのです。

SEALDsしかり注目を浴びた反安倍デモには、デモ行進文化を旧来型市民団体から奪還するという狙いもあります。中高年がダサい手書きのプラカードを掲げてる姿、率直に言って気分が悪いですからね。彼らのような、落ち着いた中高年左翼から文化的にかけ離れているのが日本のヒップホップなのではないでしょうか。つまり、安倍政権だけでなく、老けた左翼にも反抗したいという気持ちを、ヒップホップなデモ行進からは感じられるのです。最新のEDMではなく、あえて平成の歴史が詰まったヒップホップで。

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